Fe:FRAMEのモノづくりの背景にあるもの
Fe:FRAMEは60年以上の歴史がある及川鉄工株式会社という鉄工所が立ち上げた、鉄工所ブランドなのだとお伝えすると、とても興味深そうに耳を傾けていただけることがほとんど、という事です。
直にお話しできない、サイトをご覧の皆さまにも、Fe:FRAMEをもっと知っていただきたくて。
『We are one~一流~』の第1回目は、一流の会社を目指し、走りつづけている及川鉄工株式会社の話をさせていただきます。
名だたる施工実績
JRタワー、大丸札幌店、クロスホテル札幌、ホテルリソルトリニティ札幌、京王プレリアホテル札幌、東急ステイ札幌大通、札幌シャンテ、江別蔦屋書店、札幌創世スクエア、北海道ボールパークFビレッジ、BiVi新札幌、COCONO SUSUKINO...。
札幌にお住まいの方、来札歴のある方でしたら一度はどこかの建物に足を踏み入れたことがあると思います。(2023/9時点でOPEN前の建物もありますが…)
普段、床をじっくりと観察することはないと思いますが、その足が触れた床はどのようなものだったでしょう?
タイル、大理石、リノリウム、木、上質なカーペット…様々な床材が使われ、時には空間演出の一部として豪華に装飾されていることもありますよね。
では、その床材の下にある、躯体(くたい)、簡単に言うと、骨組みの部分はどのようなものでしょうか?
普段、目に見えない部分を考えることや知る機会はそうそうあることではないので「わからないし、そもそも考えたことはない。」というのが普通だと思います。
Fe:FRAMEの土台は、そのような目に見えないけれど、なくては人が立つことができない、工事を進めることすらできない、床の躯体部分=デッキプレートの施工をしている鉄工所『及川鉄工株式会社』です。
及川鉄工とは?
色々な方によく間違われるのが、『及川鉄鋼』です。同じ『てっこう』ではありますが、鉄工と鉄鋼では大きな違いがあります。
鉄鋼とは?と検索してみると…
【鉄鋼とは、鉄と炭素0.04%から2%ほどの合金や純鉄などの鉄を主成分とした原料、材料を主に指します。 鉄鋼は世界中の金属材料のうち95%程度を占めています。】
つまりは材料のことです。大きな工場施設で鋼材を製造されている会社さんなどが〇〇鉄鋼と名乗ることが多いようです。
一方、鉄工とは?と検索してみると…
【① 鉄材を用いてする工作。また、鉄を精錬したり加工したりすること。② 鉄の精錬や鉄器の製造に従事する職工。鉄匠。】
つまりは鉄にたずさわる人そのものを『鉄工』と呼びます。及川鉄工は鉄にたずさわる職人が集う、『デッキ屋』と呼ばれるデッキプレート施工業者です。
(鉄工と鐵工の違いは旧漢字かそうでないか。の違いです。鉄は「金を失う」と書くことから鐵工とする会社さんもあるそうです…)
デッキ屋の仕事
2023年5月末、及川鉄工の職人がデッキプレートを敷いている建設途中の現場へ見学に行かせていただく機会がありました。完成時には地上13階、地下3階の高層ビルとなる建物です。
黄色いヘルメットが及川鉄工のヘルメットです。これがお守りとなっているのか、複数の会社の職人さんがいらっしゃる現場ではありますが皆さんにこやかに挨拶をしてくれました。(工事現場=こわいひとばかりという印象があったので、少し拍子抜けしました(笑))
見学とは言え、高層の現場ですのでフルハーネスも装着しました。
現場の職長さんと合流し、荷下ろしから見学です。
会社事務所では、今日の晩ごはん何作ろうかな~?と言っている家族思いの優しいおじさんが、現場に出ると、一変して、厳しい目をしたカッコいい職人になります。
次に向かったのは7階。もちろんまだエレベーターはついていませんので階段で、です。
荷下ろしなどが絡むと日に何度も階段を往復することになるそうです。その階段も、下層は既にコンクリートが入っていましたが、7階まで来るとまだ下地の状態でしたので、つまずかないように注意しました。(普段、何もないところでも転ぶので、細心の注意を払いました。)
つづいて、その時の最上階である12階へ。鉄骨の柱と、梁だけの状態です。風が強く吹き付けるので寒さを感じました。
真夏は直射日光に照らされるためデッキプレートは高温になり、さらに照り返しを発生させるため体感温度はとても高いものになります。真冬はデッキプレートに容赦なく雪が降り積もるので滑りやすくもなります。
平均台をわたるようにして梁を進み、鉄骨鳶さんと連携をとりつつ、クレーンからデッキプレートを受け取り、デッキを敷いていきます。
何もなかったところにデッキプレートがどんどんと敷かれていき、床の基礎が出来上がりました。広いビルのフロアはこうやってデッキ屋がデッキプレートを1枚1枚敷き詰めていくことでその土台がつくられていくのです。
具体的な施工の流れをお知りになりたい方はこちらをご覧ください→及川鉄工株式会社HP【デッキ敷きの流れ】
デッキ屋のトップランナー
及川鉄工株式会社の創業は1962年で、当時は道内の橋梁高欄工事・建築金物工事を主にしていました。時にはらせん階段などをてがけることもあったそう。 そしてデッキプレート施工をはじめたのは1979年。冒頭であげた北海道の建物だけではなく、新宿パークハイアット、中目黒防衛庁、東京国際フォーラム等、関東の建物も多く手掛けてきました。
これまでに敷いてきた床の平米数は、2023年においては(見込も含んで)約43万平米(東京ドーム9.3個分)。1979年からトータルで、約1547万平米に及びます。(なんと東京ドーム330個分!)その広大な面積を少ない人数で現場を回りデッキプレートを敷いています。
それができるのも、デッキ屋としての長年の歴史があるからこそ。
先人たちから代々受け継いできた知恵と技術があるからこそ、多くの主要な建物の床を任せていただいているのです。
デッキ屋のトップランナーとして誇りをもってこれからも走り続けるために『日本一のデッキ屋』を自ら名乗り、業界を引っ張っています。
『全国鋼製床版施工協会』
デッキ屋をもっと世間に知ってもらいたくて、デッキ屋同士のつながりも深めていきたくて立ち上げた協会です。
及川鉄工株式会社 代表取締役社長が自らマイクを握り、職業体験に訪れた高校生にデッキ屋について説明し、デッキプレート敷設の体験をしてもらいました。(※社長も現役のデッキ職人です)
本来はデッキプレートを敷設したあとはそのまま溶接していくのですが体験ではそこまでできませんので、Fe:FRAMEのワークショップ、Fe:Klassで小物のツリースタンドを溶接してつくるという企画を用意しました。
初めて知るデッキプレート、初めて触れるデッキプレート、初めての溶接体験。男女問わず若い世代にデッキプレートを知ってもらって、触れてもらって。
高校生の少し緊張した表情とたくさんの笑顔は『デッキ屋』という存在と魅力をひとりでも多くの人に伝えたい、と活動をつづけてきてよかったと胸をアツくしてくれました。
見えないものでも誇れる仕事を
職人たちが1枚1枚敷いて、溶接をした床の基礎となるデッキプレートはコンクリートや仕上げで覆われるため、人の目に触れることはほとんどありません。もちろん、見えないものだからと手を抜いていいものではありません。建物を、人の命を支える重要な躯体部分を、一流の仕事をするのだという誇りをもって、及川鉄工の歴史を背負ってつくっているからです。
見えないものであっても、誰よりも速く、キレイに、安全に、及川鉄工らしく。
デッキを敷いた職人がいるのだという事を誰も意識していなくても、そもそも、『デッキ屋』という存在を知られていなくても、今日もひたむきに北海道のいたるところで職人たちはデッキプレートを敷いています。
『人の目にほとんど触れることのないデッキプレート』
普段は隠れてしまうデッキプレートを肉眼で見る事ができる場所があります。
札幌近郊にお住まいの方でしたら、ご存じの方も多いと思いますが、毎週末イベントなどが開催されていて、多くのお客さまでにぎわっている江別蔦屋書店です。
インダストリアルな雰囲気に包まれているとても素敵な書店ですが、その高い天井を見上げると、きれいに敷き詰められたデッキプレートの姿を見ることができるのです。
とても高い天井なので見上げたことがないという方が多いとは思うのですが、お立ち寄りの際は思い出していただき、天井を見上げてみて、1枚1枚、人の手が敷いたのだという事を想像してみてください。
そして、足元の床の躯体にも同じようにデッキプレートが敷かれているのだという事も。
Fe:FRAMEの製品、テツモノ®はデッキプレートとは違い、目に見え、手に取ることができ、触れる事ができるものです。
及川鉄工が今まで手掛けてきたことのほとんどが人の目に触れる機会がありませんでしたが、これからはたくさんの方たちの目に触れて、手に取っていただけるFe:FRAMEという枠が広がりました。
一流を目指して『日本一のデッキ屋』を名乗って走り続けているデッキプレート職人会社が飛び込んだモノづくりの世界。
この世界でも一流を目指し、歴史を重ねていきます。
たくさんのビルの床を敷いてきた職人がつくる鋼板製のOUTDOOR STOVE YUKI。
この街をつくっているビルの灯りとYUKIの炎。
「どちらも僕たちが命を吹き込んだんだ。」
胸を張って言える、これが僕たちの誇り。
YUKI, a steel plate wood stove crafted by skilled artisans who have paved the floors of many buildings in the city.
The lights of the buildings that shape this town and the flames of YUKI, both have been brought to life by us.
It's our pride, and we can proudly say it.